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  • 2023.11.23

「クリスマス・キャロル」と「どろぼうの神さま」(心理療法と物語6) - 副院長より24

 あっというまに今年ももうすぐ終わりですね。副院長の森豊和です。今日は、クリスマスにふさわしい本の紹介をしたいと思います。
ディケンズの「クリスマス・キャロル」とコルネーリア・フンケというドイツの作家が描いた「どろぼうの神さま」の2冊。大人と子どもの視点を対比させた、SF的要素のある児童向け文学という観点で、この2作品は似ています。特に後者の復刊希望もこめて書きました。



なぎさ: 先生、こないだお借りした「クリスマス・キャロル」読みましたよ! スクルージ爺さんが、第1の幽霊の力で過去のふるさとに戻ったシーン、金儲けのことしか考えない彼も、子どもの頃は無邪気だったんだって驚きました。第3の未来を見せる幽霊って、もしかしたらスクルージさん本人かな?って思いました。誰にも悲しまれずに悲惨に死んだ魂が、未来から警告しに来たんじゃないかって。

> 当たってるんじゃないかな。スクルージに残った善の心が見せた幻なのかもしれませんね。弱者を踏みにじる強欲な大人に、子どもの心を思い出してほしいというお話だから。「オリヴァー・ツイスト」をはじめとするディケンズの代表作は、虐待された子どもの視点で社会の不正を糾弾するスタイルが多いです。つらい話も多いけど、物語の根底に、人間の善性に対する圧倒的な信頼がある。だから読んでいて安心する。

なぎさ: あれ そこにある本はもしかして「九条の大罪」で出てきた?



> そう。「どろぼうの神さま」。真鍋昌平の漫画「九条の大罪」で、ホストを殺してしまった少女を弁護する際に、九条君が留置所に差し入れた3冊のうちの1冊。娘が成長したら読ませたいと言って、「モモ」と「星の王子様」と一緒に渡していました。うまい描き方ですよね。気になって読みたくなるもの。

なぎさ: 私もあらすじだけ調べました。どろぼうの神さまを名乗る少年スピキオが、つぶれた映画館に孤児たちをかくまっていて、彼らを探す探偵ヴィクトール、強欲な古物商バルバロッサ、孤児院とかかわりのある女性イダといった大人たちも交えて、不思議なメリーゴーランドをめぐる冒険へ。

> 強欲な古物商の運命は「クリスマス・キャロル」へのオマージュかもしれません。物語のカギを握る、子どもを大人に、大人を子どもにする不思議なメリーゴーランドは「ライ麦畑でつかまえて」後半場面を連想します。

なぎさ: どの作品も、子どもに対する優しいまなざしがありますもんね。そういった物語がクリスマスに似合います。

> 「どろぼうの神さま」を通読して、イダが孤児院に戻されそうになった少女ヴェスペを救い出すシーンが特に印象的でした(P344)。イダはヴェスペをいとこの娘だと偽り、両親が永遠に喧嘩をやめないから、彼女はもう3度も家出をしたんです、と言う。嘘だと分かっているヴェスペ本人さえ信じてしまいそうなくらい切実な訴えとして。それがなぜ言えるのかって、イダ自身もかつて孤児の少女だったから気持ちが分かるんです。

なぎさ: 「九条の大罪」で、弁護士の九条さんが弁護する際の信念と似てる。うまく言えないけど、たとえ、嘘であっても、その人を救うために必要なことをしなければいけない時がある。

> ヴェスぺが実際に体験した虐待事実とは異なるかもしれないけど、イダの気持ちは本物だし、事実ではなくとも、こころの真実かもしれない。だから少女は感動しておばさんの手を永遠に離さないくらい握っていた。寄り添ってもらえたから。

なぎさ: 事実でなくても真実ですか・・・・

> この場面は、そのまま、「九条の大罪」4巻から始まる「消費の産物」編の核心部分と重なります。だから「どろぼうの神さま」をこのシリーズの終盤の小道具として用いた。村上春樹もよく使う手法です。

軽度の知的障害とPTSDがあり、今なお親から虐待を受けている少女を、ホストが容易にマインドコントロールする過程はとてもリアルだし、最終的に追い込まれた少女がホストを殺してしまい、でも「死刑でオッケー、地獄で彼に謝りたい」というセリフも、複雑な心境を一言で表していて、涙が出ました。

なぎさ: ホストが自分を騙していたと分かっていても、騙された事実は受け入れたくない。たとえ見せかけでも、自分に価値があると初めて言ってくれた人だから信じたかった・・・

> だからこそ許せないんです。でも、そこを追求したって少女はますます混乱するだけだから。「私に居場所なんてない」という少女に九条先生は「一日。一日。日常を愛おしいと思えたら、それが貴方の居場所です。どんな場所にいようと心を満たすことはできる」と伝えます。

なぎさ: そのシーンいいですね。「私は貴方に寄り添います。奪われる生き方でなく、与えられる人になれるまで。行く場所がないなら、私の事務所に来ればいい」と続けるのも。この言葉で、「与えられる人になるまで寄り添ってくれる」ことが保障され、行き場も保障されるから、出所してから絶望して自殺するリスクを減らすと思う。

> 大ヒット作「闇金ウシジマくん」でも、伊坂幸太郎が絶賛していた初期作品「THE END」でも、作者の主張は一貫しています。インタビューで繰り返し語っているように追い詰められて居場所がない人たちが、ちょっと視点を変えて、狭い見方を変えて、逆境から抜け出すヒントになればということ。

なぎさ: でも、その発想の原点が「ドラえもん」というのに驚きました。のび太の成長という視点から、現在の作風に行きつくなんて。

> 「クリスマス・キャロル」は「ドラえもん」のタイムマシンの元ネタかもしれません。「ドラえもん」にせよ、古来から伝わる昔話、童話にせよ、子どもでもわかるようなシンプルな内容に、大切なことが詰まっています。読むものがうまく取り出せるかどうか。

なぎさ: それ!いつも先生がそういった話をされるから、私もお話を考えたんです。

 狩りができない落ちこぼれのライオンが、仲間の役に立てなくて群れから追い出されるんです。ひとり寂しく彷徨っているところを、ひとのよさそうな人間に出会って拾われる。でも、あらゆることに疑心暗鬼になったライオンは、その人に嚙みついたり威嚇したりするの。ライオンは群れが恋しくて、夜な夜な鳴いて仲間を呼ぶけど、誰も答えてくれない。そんな時に、その人がずっとそばにいてくれて。ライオンはしだいに懐いていって、やがて、その人と一緒に旅をするようになるんです。

> 映像が浮かぶ話だね。絵本にするといいと思う。きっと素敵な本になるから。

なぎさ: 本当にそう思ってます? いつも先生は物語の解釈をするけど、ライオンを助けてくれた人は誰か分かります? 噛みつきますよ。
 それに、ねえ、先生。もし私が殺人を犯したら、九条弁護士みたいに毎日、留置所に会いに来てくれますか? くれないよね。たとえ1回も来てくれなくてもいいんです。「ヒルビルという子がいた」と思って。せめて、私のことを忘れないでいてくれたら。
 あっというまに今年ももうすぐ終わりですね。副院長の森豊和です。今日は、クリスマスにふさわしい本の紹介をしたいと思います。
ディケンズの「クリスマス・キャロル」とコルネーリア・フンケというドイツの作家が描いた「どろぼうの神さま」の2冊。大人と子どもの視点を対比させた、SF的要素のある児童向け文学という観点で、この2作品は似ています。特に後者の復刊希望もこめて書きました。



なぎさ: 先生、こないだお借りした「クリスマス・キャロル」読みましたよ! スクルージ爺さんが、第1の幽霊の力で過去のふるさとに戻ったシーン、金儲けのことしか考えない彼も、子どもの頃は無邪気だったんだって驚きました。第3の未来を見せる幽霊って、もしかしたらスクルージさん本人かな?って思いました。誰にも悲しまれずに悲惨に死んだ魂が、未来から警告しに来たんじゃないかって。

> 当たってるんじゃないかな。スクルージに残った善の心が見せた幻なのかもしれませんね。弱者を踏みにじる強欲な大人に、子どもの心を思い出してほしいというお話だから。「オリヴァー・ツイスト」をはじめとするディケンズの代表作は、虐待された子どもの視点で社会の不正を糾弾するスタイルが多いです。つらい話も多いけど、物語の根底に、人間の善性に対する圧倒的な信頼がある。だから読んでいて安心する。

なぎさ: あれ そこにある本はもしかして「九条の大罪」で出てきた?



> そう。「どろぼうの神さま」。真鍋昌平の漫画「九条の大罪」で、ホストを殺してしまった少女を弁護する際に、九条君が留置所に差し入れた3冊のうちの1冊。娘が成長したら読ませたいと言って、「モモ」と「星の王子様」と一緒に渡していました。うまい描き方ですよね。気になって読みたくなるもの。

なぎさ: 私もあらすじだけ調べました。どろぼうの神さまを名乗る少年スピキオが、つぶれた映画館に孤児たちをかくまっていて、彼らを探す探偵ヴィクトール、強欲な古物商バルバロッサ、孤児院とかかわりのある女性イダといった大人たちも交えて、不思議なメリーゴーランドをめぐる冒険へ。

> 強欲な古物商の運命は「クリスマス・キャロル」へのオマージュかもしれません。物語のカギを握る、子どもを大人に、大人を子どもにする不思議なメリーゴーランドは「ライ麦畑でつかまえて」後半場面を連想します。

なぎさ: どの作品も、子どもに対する優しいまなざしがありますもんね。そういった物語がクリスマスに似合います。

> 「どろぼうの神さま」を通読して、イダが孤児院に戻されそうになった少女ヴェスペを救い出すシーンが特に印象的でした(P344)。イダはヴェスペをいとこの娘だと偽り、両親が永遠に喧嘩をやめないから、彼女はもう3度も家出をしたんです、と言う。嘘だと分かっているヴェスペ本人さえ信じてしまいそうなくらい切実な訴えとして。それがなぜ言えるのかって、イダ自身もかつて孤児の少女だったから気持ちが分かるんです。

なぎさ: 「九条の大罪」で、弁護士の九条さんが弁護する際の信念と似てる。うまく言えないけど、たとえ、嘘であっても、その人を救うために必要なことをしなければいけない時がある。

> ヴェスぺが実際に体験した虐待事実とは異なるかもしれないけど、イダの気持ちは本物だし、事実ではなくとも、こころの真実かもしれない。だから少女は感動しておばさんの手を永遠に離さないくらい握っていた。寄り添ってもらえたから。

なぎさ: 事実でなくても真実ですか・・・・

> この場面は、そのまま、「九条の大罪」4巻から始まる「消費の産物」編の核心部分と重なります。だから「どろぼうの神さま」をこのシリーズの終盤の小道具として用いた。村上春樹もよく使う手法です。

軽度の知的障害とPTSDがあり、今なお親から虐待を受けている少女を、ホストが容易にマインドコントロールする過程はとてもリアルだし、最終的に追い込まれた少女がホストを殺してしまい、でも「死刑でオッケー、地獄で彼に謝りたい」というセリフも、複雑な心境を一言で表していて、涙が出ました。

なぎさ: ホストが自分を騙していたと分かっていても、騙された事実は受け入れたくない。たとえ見せかけでも、自分に価値があると初めて言ってくれた人だから信じたかった・・・

> だからこそ許せないんです。でも、そこを追求したって少女はますます混乱するだけだから。「私に居場所なんてない」という少女に九条先生は「一日。一日。日常を愛おしいと思えたら、それが貴方の居場所です。どんな場所にいようと心を満たすことはできる」と伝えます。

なぎさ: そのシーンいいですね。「私は貴方に寄り添います。奪われる生き方でなく、与えられる人になれるまで。行く場所がないなら、私の事務所に来ればいい」と続けるのも。この言葉で、「与えられる人になるまで寄り添ってくれる」ことが保障され、行き場も保障されるから、出所してから絶望して自殺するリスクを減らすと思う。

> 大ヒット作「闇金ウシジマくん」でも、伊坂幸太郎が絶賛していた初期作品「THE END」でも、作者の主張は一貫しています。インタビューで繰り返し語っているように追い詰められて居場所がない人たちが、ちょっと視点を変えて、狭い見方を変えて、逆境から抜け出すヒントになればということ。

なぎさ: でも、その発想の原点が「ドラえもん」というのに驚きました。のび太の成長という視点から、現在の作風に行きつくなんて。

> 「クリスマス・キャロル」は「ドラえもん」のタイムマシンの元ネタかもしれません。「ドラえもん」にせよ、古来から伝わる昔話、童話にせよ、子どもでもわかるようなシンプルな内容に、大切なことが詰まっています。読むものがうまく取り出せるかどうか。

なぎさ: それ!いつも先生がそういった話をされるから、私もお話を考えたんです。

 狩りができない落ちこぼれのライオンが、仲間の役に立てなくて群れから追い出されるんです。ひとり寂しく彷徨っているところを、ひとのよさそうな人間に出会って拾われる。でも、あらゆることに疑心暗鬼になったライオンは、その人に嚙みついたり威嚇したりするの。ライオンは群れが恋しくて、夜な夜な鳴いて仲間を呼ぶけど、誰も答えてくれない。そんな時に、その人がずっとそばにいてくれて。ライオンはしだいに懐いていって、やがて、その人と一緒に旅をするようになるんです。

> 映像が浮かぶ話だね。絵本にするといいと思う。きっと素敵な本になるから。

なぎさ: 本当にそう思ってます? いつも先生は物語の解釈をするけど、ライオンを助けてくれた人は誰か分かります? 噛みつきますよ。
 それに、ねえ、先生。もし私が殺人を犯したら、九条弁護士みたいに毎日、留置所に会いに来てくれますか? くれないよね。たとえ1回も来てくれなくてもいいんです。「ヒルビルという子がいた」と思って。せめて、私のことを忘れないでいてくれたら。