お知らせ

北勢病院homeお知らせ 〉 「西の魔女が死んだ」 - 副院長より10

  • 2020.09.22

「西の魔女が死んだ」 - 副院長より10

こんにちは。副院長の森豊和です。今日は本の話をしたいと思います。
新潮文庫のベストセラーで梨木香歩 著「西の魔女が死んだ」という本をご存知でしょうか。

中学校に行けなくなった女の子まいが、祖母の家でひと月余り過ごす日々を描いた小説です。大変読みやすく面白く、それこそ中学生の夏の読書感想文に最適なのですが、今回ちがった側面で紹介したいです。

たまたまですがこの本は、精神科的に重要なことをいくつか説明してくれています。(本を紹介する際に精神科医の視点で選んでいるわけではありませんが、どうしてもそういった視点は入ってきます。とりわけ、この本は私たちが日頃考えていることを説明するのにうってつけだと思うのです)


それらはおおよそ三つの観点に分けられます。

1うつ病や何らかの理由で仕事や学校に行けなくなった人への生活指導
2幻聴や妄想が起こる機序
3身近な人の死をどう乗り越えるか


まず1について。別に特別なことをするわけではありません。文庫版70ページで西の魔女こと、まいのおばあちゃんが「魔女になるための修行として」まいに課す内容がそれに当たるのですが、「ストレスのある環境から離れて休むこと」、そして「規則正しい生活と運動」、それだけです。94ページに書かれているように、それが一定の心地よい「リズム」になればなおけっこうです。

162ページでおばあちゃんが言うように自分にあった環境も重要です。自分に合わない環境で頑張り続ける必要はない。時には逃げることも必要です。でも実は、逃げることは勇気がいります。まいにとってのおばあちゃんのように、誰か、助言したり支えたりしてくれる人の存在はとても大切です。おばあちゃんの台詞を、少し長いけど引用します。

「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中には咲かない。シロクマがハワイより北極で生きることを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか」




2幻聴や妄想が起こる機序について。
聞きたくない幻聴や考えたくない妄想を防ぐために、96ページで、おばあちゃんがまいに教えるのは「意思の力」です。

作品後半で、まいの心がストレスに負けて弱った時、悪い考え、誰かを悪者にして憎む心が出てきます。それは138ページで説明される妄想かもしれません。そういったときは111ページで描かれるように「聴きたくない声」が聞こえてきます。それはまいを苦しめる悪い幻聴です。自分の心の中の不安が、あたかも外から聴こえてきた声のように感じる。

おばあちゃんは「真の魔女は自分の聴きたいことを聴き、見たいこと見ることができなければならない」と教えます。

では悪い幻聴や妄想を乗り越えるためには何が必要か。
もしそれが統合失調症のような病気のレベルなら自分の意思の力だけではどうにもならないので薬を飲むことも必要です。

そして、服薬の有無に関わらず、もうひとつ大事なのは、くりかえしになりますが、自分が周囲の人に必要とされているか、周囲の人とつながっているか、「世界に対する信頼」です。

冒頭22ページでおばあちゃんが「まいと一緒に暮らせるのは喜びです。わたしはいつでもまいのような子が生まれてきてくれたことを感謝していましたから」と語り、お母さんから繊細で扱いにくい子とみなされたまいの資質を「感受性の豊かな自慢の孫」と肯定します。



同じことを言いかえただけなのにずいぶん聴こえ方が違いますよね。そして、それらの言葉が、幼い子をどんなに勇気づけることでしょうか。


まいは、おばあちゃんを助けてくれていた隣のゲンジさんを悪者ではないかと疑い妄想のような感情を抱きますが、物語の終わりに、悪者のはずのゲンジさんが、自分や、死んだおばあちゃんにとって大切な花の名前を知っていたことをきっかけに和解します。

そして本当に見たいものを見て、聴きたいものを聴くすべを知ります。


3身近な人の死をどう乗り越えるか、について、これは物語の結末に関係します。まいは西の魔女の声、メッセージを受信することができました。本当に聴きたいことを聴き、見たいものを見た。死んだおばあちゃんは、孫のまいの心の中で生き続けるのです。

これは精神科医の中井久夫先生の受け売りなのですが、当人にとって嬉しい妄想ならあっていいのです。死んだ、大好きな人の声なら聴こえてよいのです。大切なおばあちゃんの意思を自分が受け継いだことに他ならないのですから。その幻聴は昔の人が言うところの守護霊です。


「西の魔女が死んだ」は大人が読めば、ほんの小一時間で読める薄い簡単な小説です。
でもその内容はとても濃いです。すばらしい児童書や絵本を描くことって、ものすごくむずかしいと私は思います。




最後に本日の一曲として
RCサクセションのシングルコンピレーション「EPLP」から

「トランジスタラジオ」 on Spotify

RCのフロントマン、忌野清志郎みたいな先生がいたら、まいちゃんは登校拒否にならなかったかもしれない。そもそも、学校という場所の意味が根底からくつがえってしまうかもしれません。

70年代以降の日本の音楽を語るうえで、必ず名前が挙がるのが、はっぴいえんど(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)と、このRCサクセションです。はっぴいえんどが日本のビートルズなら、RCがストーンズというざっくりした位置づけで、どちらかといえばRCサクセションはパンクバンドの先駆者とみなされているようです。清志郎は「ロック君が代」とかセンセーショナルな行動が目立ちますし。

でも、この「EPLP」を聴いても、彼らは単に騒がしい音楽を鳴らしているわけではなく、音楽の歴史、日本のフォークの伝統も、アメリカのオールディズや黒人音楽の影響も血肉にしていることがわかります。

もっとわかりやすく踊れるパンクロックのほうが群衆を熱狂させます。スタジアムに何万人もの人を集めます。

でも、黒人のブルースに根ざしたような、清志郎の歌う、深いゴツゴツした哀しみを必要とする人も少なからずいます。そういった人たちが弾かれない社会こそが本当に成熟した世界だと思います。

「お前も生きづらいかもしれないが、俺も生きづらい。でもお前が居るから俺も居る。おまけに俺のほうがお前よりアホだぞ」と清志郎は歌っている。勝手に私はそう思っています。

ここでいう「アホ」とは常識にとらわれず、哀しみやつらい状況を、笑いや希望に変えるようなユーモアを生み出す力のことを指しています。


「西の魔女が死んだ」の結末からも、似たようなフィーリングを感じます。未読の方で興味を持たれた方は、ぜひご一読を。当院病棟の個室エリアの図書コーナーにも用意してあります。紛失したらそのたびに補充するつもりです。

 
こんにちは。副院長の森豊和です。今日は本の話をしたいと思います。
新潮文庫のベストセラーで梨木香歩 著「西の魔女が死んだ」という本をご存知でしょうか。

中学校に行けなくなった女の子まいが、祖母の家でひと月余り過ごす日々を描いた小説です。大変読みやすく面白く、それこそ中学生の夏の読書感想文に最適なのですが、今回ちがった側面で紹介したいです。

たまたまですがこの本は、精神科的に重要なことをいくつか説明してくれています。(本を紹介する際に精神科医の視点で選んでいるわけではありませんが、どうしてもそういった視点は入ってきます。とりわけ、この本は私たちが日頃考えていることを説明するのにうってつけだと思うのです)


それらはおおよそ三つの観点に分けられます。

1うつ病や何らかの理由で仕事や学校に行けなくなった人への生活指導
2幻聴や妄想が起こる機序
3身近な人の死をどう乗り越えるか


まず1について。別に特別なことをするわけではありません。文庫版70ページで西の魔女こと、まいのおばあちゃんが「魔女になるための修行として」まいに課す内容がそれに当たるのですが、「ストレスのある環境から離れて休むこと」、そして「規則正しい生活と運動」、それだけです。94ページに書かれているように、それが一定の心地よい「リズム」になればなおけっこうです。

162ページでおばあちゃんが言うように自分にあった環境も重要です。自分に合わない環境で頑張り続ける必要はない。時には逃げることも必要です。でも実は、逃げることは勇気がいります。まいにとってのおばあちゃんのように、誰か、助言したり支えたりしてくれる人の存在はとても大切です。おばあちゃんの台詞を、少し長いけど引用します。

「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中には咲かない。シロクマがハワイより北極で生きることを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか」




2幻聴や妄想が起こる機序について。
聞きたくない幻聴や考えたくない妄想を防ぐために、96ページで、おばあちゃんがまいに教えるのは「意思の力」です。

作品後半で、まいの心がストレスに負けて弱った時、悪い考え、誰かを悪者にして憎む心が出てきます。それは138ページで説明される妄想かもしれません。そういったときは111ページで描かれるように「聴きたくない声」が聞こえてきます。それはまいを苦しめる悪い幻聴です。自分の心の中の不安が、あたかも外から聴こえてきた声のように感じる。

おばあちゃんは「真の魔女は自分の聴きたいことを聴き、見たいこと見ることができなければならない」と教えます。

では悪い幻聴や妄想を乗り越えるためには何が必要か。
もしそれが統合失調症のような病気のレベルなら自分の意思の力だけではどうにもならないので薬を飲むことも必要です。

そして、服薬の有無に関わらず、もうひとつ大事なのは、くりかえしになりますが、自分が周囲の人に必要とされているか、周囲の人とつながっているか、「世界に対する信頼」です。

冒頭22ページでおばあちゃんが「まいと一緒に暮らせるのは喜びです。わたしはいつでもまいのような子が生まれてきてくれたことを感謝していましたから」と語り、お母さんから繊細で扱いにくい子とみなされたまいの資質を「感受性の豊かな自慢の孫」と肯定します。



同じことを言いかえただけなのにずいぶん聴こえ方が違いますよね。そして、それらの言葉が、幼い子をどんなに勇気づけることでしょうか。


まいは、おばあちゃんを助けてくれていた隣のゲンジさんを悪者ではないかと疑い妄想のような感情を抱きますが、物語の終わりに、悪者のはずのゲンジさんが、自分や、死んだおばあちゃんにとって大切な花の名前を知っていたことをきっかけに和解します。

そして本当に見たいものを見て、聴きたいものを聴くすべを知ります。


3身近な人の死をどう乗り越えるか、について、これは物語の結末に関係します。まいは西の魔女の声、メッセージを受信することができました。本当に聴きたいことを聴き、見たいものを見た。死んだおばあちゃんは、孫のまいの心の中で生き続けるのです。

これは精神科医の中井久夫先生の受け売りなのですが、当人にとって嬉しい妄想ならあっていいのです。死んだ、大好きな人の声なら聴こえてよいのです。大切なおばあちゃんの意思を自分が受け継いだことに他ならないのですから。その幻聴は昔の人が言うところの守護霊です。


「西の魔女が死んだ」は大人が読めば、ほんの小一時間で読める薄い簡単な小説です。
でもその内容はとても濃いです。すばらしい児童書や絵本を描くことって、ものすごくむずかしいと私は思います。




最後に本日の一曲として
RCサクセションのシングルコンピレーション「EPLP」から

「トランジスタラジオ」 on Spotify

RCのフロントマン、忌野清志郎みたいな先生がいたら、まいちゃんは登校拒否にならなかったかもしれない。そもそも、学校という場所の意味が根底からくつがえってしまうかもしれません。

70年代以降の日本の音楽を語るうえで、必ず名前が挙がるのが、はっぴいえんど(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)と、このRCサクセションです。はっぴいえんどが日本のビートルズなら、RCがストーンズというざっくりした位置づけで、どちらかといえばRCサクセションはパンクバンドの先駆者とみなされているようです。清志郎は「ロック君が代」とかセンセーショナルな行動が目立ちますし。

でも、この「EPLP」を聴いても、彼らは単に騒がしい音楽を鳴らしているわけではなく、音楽の歴史、日本のフォークの伝統も、アメリカのオールディズや黒人音楽の影響も血肉にしていることがわかります。

もっとわかりやすく踊れるパンクロックのほうが群衆を熱狂させます。スタジアムに何万人もの人を集めます。

でも、黒人のブルースに根ざしたような、清志郎の歌う、深いゴツゴツした哀しみを必要とする人も少なからずいます。そういった人たちが弾かれない社会こそが本当に成熟した世界だと思います。

「お前も生きづらいかもしれないが、俺も生きづらい。でもお前が居るから俺も居る。おまけに俺のほうがお前よりアホだぞ」と清志郎は歌っている。勝手に私はそう思っています。

ここでいう「アホ」とは常識にとらわれず、哀しみやつらい状況を、笑いや希望に変えるようなユーモアを生み出す力のことを指しています。


「西の魔女が死んだ」の結末からも、似たようなフィーリングを感じます。未読の方で興味を持たれた方は、ぜひご一読を。当院病棟の個室エリアの図書コーナーにも用意してあります。紛失したらそのたびに補充するつもりです。