みなさん、こんにちは。雪の季節になりましたね。副院長の森豊和です。
今日は私の文章ではなく、桑名高校衛生看護科の学生さん達の文章をご紹介しようと思います。
以下に掲載する文章は「2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園の事件です)について、どんなことでも良いので思うことを書いてください」という問いかけに対する回答です。事前にこのNHKの記事を参照してもらっています。
順不同で、抜粋したり、重複した意見はひとつで代表させたり、数人の文章を融合させたり、一部表現を簡潔にした部分もあります。そのため、ここに掲載する文章は、正確には個々の学生さんの意見ではなく、編集した私の意図が入ったものであることをご了承ください。
生徒のみなさんにいただいた、すべての文章それぞれがとても素敵で、様々なかたちで胸を打つものでした。そして原文一つ一つのほうが、ここに掲載する抜粋より素晴らしいものであったことを前置きします(掲載については担任の先生を通じて許可をいただきました)。
犯人に、自分が今殺そうとしている人が、一生懸命毎日を生きていることに気づいてほしかった。
苦しいのは障がい者の方だけでなくその家族の方々も同じです。何も悪いことをしていないのに無差別に身内が殺されたら犯人に対して怒りがはかりしれないほどあると思います。
でも、「犯人に生きている価値がない」というのは「障がい者は生きている価値がない」ということと同じではないか。
ひとは皆、支えあって生きています。重度の障がいがあっても、ひとを笑顔にしたり、たくさんのことを教えてくれるかもしれません。亡くなった19人の方にはそれぞれの人生があって誰一人同じ人はいません。
生まれ持った障がいという、自分では変えようのない理由でひどい扱いを受けることはあってはならないと思います。みんな病気になったり障害を抱えたりする可能性はあるわけで。
たとえ障がいのある方が周りの人の力で生かされている状態であったとしても、その人が生きていてくれるだけで、生きる原動力になる、生きる価値が見いだせる家族や仲間がいることも事実だと思います。
自分の命をどうにかできるのは自分だけであって、生きる権利も死ぬ権利も自分自身にしかないのに、他者が勝手に奪って「これが正しい」なんてことはあるはずがない。
私はこの事件が話題になった一因として、犯人の主張に内心ながら同意を覚えた人が少なくなかったのだろうと考えました。だからこそ、この事件を他人事に考えてはいけない。自分の中にある偏見、差別意識にまず気づき、その思考が本当に正しいものであるかを見つめなおす必要があると思います。
「障がい者は生きている価値がない」という犯人の主張は、正直私も考えていたことがある。私だったら障害をもって家族に迷惑をかけるなら死んでもいいかなと思って。
しかし色々勉強していくうちに障がい者の方々が私たちに生きることはとても大変で、でもとても素晴らしく美しいものなんだと訴えているように感じてきて。より生きることを大切にして生活しているんじゃないか。
亡くなられた方がどんな人だったのか調べていて、中には得意だったことが書かれている人もいて、それが私は苦手なことだと尊敬しました。
人はだれでも得意不得意があり、考え方が違います。看護師として働くようになったら、利用者さんや患者さんの長所や得意なことを見つけていける人になりたいと思いました。
自分も「価値がない」と言われる側に生まれていたかもしれない。それなのに、たまたま、そういう状況で生きているというだけで、命の重さが変わってしまっていいのだろうか。
「犯人は完全なるただの悪だ」としてしまうのは違うと感じている。
「障がい者は生きている価値がない」という犯人の主張自体は批判しない。過去の犯人の入院時に、彼が心に傷を抱えている中、実際に感じたことかもしれないから。
彼も自分には生きる価値がない、死にたいと思ったことがあるかもしれない。生きる価値がないという思いを与えてしまった周囲の人、私たちが悪いのかもしれない。
犯人は過去に生きていること自体を否定する言葉を浴びせられた、または否定される扱いを受けたことがあるのではないか。
犯人の「自分は役に立たない人間だった」という言葉から、彼はある種の救済として犯行に至ったのかもしれないと思った。障がい者の方々を生きる辛さから解放してあげたかったのかもしれない。
今日の日本で障がい者に対する支援は十分ではないのかもしれない。障がいを持つ子どもを育てているお母さんが「ハンディのある子どもを育てる難しさより、周囲からの偏見や差別、可哀そうと思われていることを突きつけられることのほうがずっとつらい」と仰っていたのを思い出した。
以前、授業でALS(筋萎縮性側索硬化症)について学んだ際に、クラスで安楽死について考える機会があった。家族がALSになって安楽死したいと言ったら賛成するかという問いにはほぼ全員が反対したが、自分がALSになった場合は、クラスの過半数の人が、他人に迷惑をかけたくないから安楽死したいという意見だった。
このように他人に意見を押し付けないだけで、多くの人は口には出さないが、犯人の意見に共感してしまう部分もあるのではないか。
「私は自分に生きている価値がある」。なんてことは自信を持っていうことができない。両親に学費や生活費をすべて払ってもらっている。でも母親は私がテスト週間で元気がないとき、「学校に行くだけでいいんだよ。生きていてくれたらいいんだよ」と声をかけてくれる。母親の視点では私に生きる価値があるらしい。
価値は自分でも決められるし、他者からも決められる。このことから価値とはその人の考えひとつで大きくなったり、小さくなったりすることが分かった。だとすると、犯人から価値を決めつけられ、価値がないから殺害するというのは犯人の自分勝手だと感じる。
障がい者とは何をいうのか。そもそも障がい者という言葉が私は好きではない。自分も眼鏡をかけていなかったら視力が著しく悪いため障がい者ということになる。だから犯人が障がい者かどうかで区別すること自体がおかしい。
生きているとは何なのか。犯人は自分が生きていると思っているのか。私は友人と楽しく話しているとき、テストでよい点をとって嬉しいとき、映画を観て泣いてしまったとき、友人に約束を忘れられ悲しいとき… 感情が揺れることに生きていると感じる。
犯人は何かを知って嬉しく感じたり、人と触れて楽しいと感じたり、人を殺害することに何の抵抗も感じなかったのだろうか。
犯人の発言や様子は感情がないように感じた。私の思う生きている基準に当てはめるなら、犯人は死んでいる。生きていない。生きていない人間に「障がい者は生きている価値がない」と言われても説得力は感じられない。
(NHKのサイトに掲載されている被害者の)ご家族のメッセージすべてに共通していたのは「会いたい」という文字だった。
障がいについて学校教育の一環としてもっと取り入れるといいと思います。小さいときから学ぶことができたら、障がいが特別なものではないと思うから。
障がい者のひとが最初は怖かったし、「自分とは違う」と線を引いてしまっていました。でも実習で関わらせていただいて、お互いを認識してあいさつをしたり、自分を表現したり、好みがあったり、私となにも変わりませんでした。
私の地域には障がい者の方が仕事をする施設があって、小学生のころから何度も交流会があり、にこにこ笑顔で声をかけてくれたり、話せない代わりに手を握ってくれたり、とてもうれしかった記憶があります。障がい者は何もできないわけではない。関わったら絶対分かると思います。
私の小中学生の頃の友達にダウン症の子がいましたが、とても皆から愛されていたし、クラスのアイドルのような存在でした。障がいによってできないことはあるかもしれないけど、障がいが無い人にもできないことはあります。どんな状況の人も生きやすい世の中になればいいなあと、きれいごとかもしれませんが。
犯人は「あなたは生きていてもいいよ」と言われたかった、人に認めてもらいたいがために事件を起こしたのではないか。この事件は世間が障がい者と向き合わず避けてきたために起こった事件かもしれない。犯人に、この行動(殺戮)を選択しなくても生きていていいんだと考えられるよう周囲のサポートが必要だったのではないか。
もしかしたら彼も孤独で、誰かに認めてもらいたい一心で行動したのだとしたら、周りで支えてあげられる人が一人でもいたら、この事件は防げていたのかもしれない。
この悲惨な事件をひとごとだと思わずに、家族や友達はもちろん、関わる人たちに優しく接し、その優しい心が連鎖するような世界になることを願います。
人より優れているかが重要視されてしまう社会にも問題があると思います。どんなことにおいても多様性があり、人と異なる点があってもいいと私は思うのです。
すべての人が誰かに愛され、誰かを大切にできる世界であればいいなと思うし、実際、電車でたまたま隣に座っている人も、満員電車で体当たりしてくる人でも、それぞれ誰かの大切な人であり、誰かを大切に想う人であると思っています。
以上、順不同で掲載させていただきました。いかがだったでしょうか。精神科に限らず、どんな医療福祉の現場でも大切になることが書かれていると思います。読んでいて出題者の私自身が教えられ、気づきがあり、涙が出てくる内容でした。
前回までの記事はこちら
桑名高校衛生看護科の皆さんへ - 副院長より11
「西の魔女が死んだ」 - 副院長より10
くわとくのお野菜 - 副院長より9
第8回くわとく展 - 副院長より8
たのしく生きよう - 副院長より7
「ボヘミアン・ラプソディ」と笑いについて - 副院長より6
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