皆さん、こんにちは。ようやく涼しくなってきて、夕涼みがてらの散歩ができそうな気候になってきましたね。副院長の森豊和です。
夜に考え事をしながら歩く時、あなたの脳裏に浮かぶのはどんな記憶でしょうか。月が綺麗な夜は「1Q84」の二つの月も思い出します。今回は村上春樹「アフターダーク」を中心に、村上春樹の諸作品に共通するテーマと夢分析について書いています。架空の医師と看護師の対話という体裁です。
なぎさ: あ、先生。朝からなんですけど.... 嫌な夢を見たんです。厄払いに話してもいいですか。
> おはようございます。はい、いいですよ。
なぎさ: 夢の中で好きな人と一緒にお店に入ったんです。そしたら中はがらんどうで。奥へ進んでいきます。ふいに背中に触れた手が別の人になって、ぐるぐる私の体に巻き付いてきて。驚いて噛みついたら、うめき声を上げて、どろどろと溶けて消えていきました。でも、私も力尽きて意識を失って、そのまま目を覚ましました。どういう夢なんでしょうか。
> それは.... がんばったね。邪悪な何かを自分の力でやっつける夢だから悪い内容ではないと思います。村上春樹の「ねじ巻き鳥クロニクル」で、主人公の夢と現実が入り混じった空間、何かの建物の中で、邪悪な何かを叩き殺す場面を思い出しました。その後、現実世界で彼や、彼の家族を蝕んでいた人物が、脳出血を起こして死ぬんです、確か。
なぎさ: すると、私も、私の邪魔をする誰かをやっつけたということでいいんですか?
> かもしれないです。「海辺のカフカ」で、ナカタさん(主人公の分身)が不思議な部屋で、猫殺しのジョニー・ウォーカーを刺し殺すと、現実世界では主人公が憎んでいる父親が殺された話とか。
なぎさ: そういえば、「かえるくん、東京を救う」もそんな話ですね。真面目にがんばってるのに報われない片桐さんの前に突然、かえるくんが現れる。「隠喩とか何かの象徴とかではなく、文字通り私はただの蛙です」みたいに言って。片桐さんの助けを借りて、東京に大地震を起こそうとするミミズくんと戦う。
かえるくんは片桐さんの影(シャドー)なのですか? ユング心理学でいうところの。 私もかえるくんみたいな影が欲しい。彼の声が力溢れて、強い権力に屈しない、というのが私でも伝わりました。ミミズくんって何者なのか分からなかったけど、目に見えない、人々の悪意の集合体なのかな。かえるくんは悪意の集合体のせいでボロボロになったと思うと、胸が苦しい。
> かえるくんは片桐さんの、さらには世界中の人々の普遍的(集合)無意識のなかにいる、英雄やトリックスターの「元型」(archetype)かもしれないです。片桐さんが普段思いつかないような行動をとれるという意味では、彼の影ともいえるかも。ミミズくんを、市井の人々の悪意の集合体と取るのなら、「1Q84」に出てくる「リトル・ピープル」と同じかも。ジョージ・オーウェルの「1984」で、独裁政権で、常に人々を監視する巨大な力「ビッグ・ブラザー」を、現代の日本に置き換えたもの。
なぎさ: あ、「ジョージ・オーウェル風チキン・サラダ」って、タカハシ君が言ってますね。「アフターダーク」の冒頭、ファミレスの下りで。
「アフターダーク」もいい本でした。物語の終盤、主人公の浅井マリは、エレベーターで閉じ込められたときに姉のエリとひとつに溶け合うように抱き合った、美しい記憶が蘇って。エリが深い眠りから目覚めることが示唆されていますね。この作品は、マリが自分の夢の中で夜を過ごしているように感じました。
> 河合隼雄も、「アフターダーク」の世界は、現実かもしれないし、マリの無意識の夢の中の話ともとれると言っています(「こころの読書教室」P81参照)。最後にマリが思い出すエレベーターで閉じ込められた記憶。これ、僕も読み返して、ハッとしたんですが、この記憶の内容は、村上春樹も愛聴している、90年代から2000年代にかけての、世界で最も重要なロックバンドとされるRadioheadの名曲「Lift」の歌詞そのまんまなんです。偶然かもしれないけど。
フロントマン、トム・ヨークは、「村上の小説のほとんどは、人に憑りついて、悪と呼ばれるものに変えてしまう力、ダークフォースについて書かれている」と語っていて(「スターウォーズ」ですね)。視点を変えれば、村上春樹の小説は、そのダークフォースによって奪われた大切な記憶とそれに伴う感情を取り戻すための物語、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を乗り越えて成長していくことについて、だと僕は思っています。
少しだけ「Lift」の歌詞、引用しますね。
This is the place Sit down, you’re safe now
You’ve been stuck in a lift
We’ve been trying to reach you, Thom
This is the place It won’t hurt ever again
(もう安全だよ。君はエレベーターに閉じ込められていたんだ。僕は君に手を差し伸べ続けていた。トム。もう君は傷つかなくていい。)
この歌詞で、Radioheadのトム・ヨークは自分自身に問いかけています。つまり、自分で自分を助けようとしている。同じように、「アフターダーク」の浅井エリとマリの姉妹も、一人の人間の別人格という解釈もできます。だから、「アフターダーク」は、深夜から夜明けの間に都会で起きた話とも読めるし、実は、浅井マリ個人の無意識のなかでのみ起こった出来事ともとれます。
後者の場合、物語の登場人物は、みな、浅井マリの心の動きです。例えば、彼女にアドバイスをする青年タカハシテツヤは、彼女のアニムス(心の中にいる異性)と推測できるし。何か邪悪な力(ダークフォース)に囚われて眠り続ける姉、浅井エリは、マリの影(シャドー)です。
なぎさ: じゃあ、この物語は、浅井マリが自身の魂を癒していく過程なんですね。夢という手段を使って。エリとマリは真逆なタイプだから、影っていうのはすごく納得します。タカハシ君は、マリの理想像(自己 Self)だと思って読んでました。この2人は赤の他人には思えなくて。運命の糸でつながっているような。
浅井マリが、「彼女が白雪姫なら私は頑丈な山羊飼い」と例えて、エリは繊細でペンキの匂いでもアレルギーを起こすと話しているとき、タカハシ君が「山羊飼いはペンキ塗りたてのベンチでも座れるからいい」とフォローするところ(P174)が好きなんです。ほとんどの男は白雪姫のほうがいいに決まってるのにね。タカハシ君は人の失敗や短所を柔らかく、あたたかく受け入れて見守ってくれてる。
> アニムスの役割なんです。それこそ、まさに。
なぎさ: ラブホテルの従業員のコムギさん、コオロギさんの2人の会話が漫才みたいで、読んで心地よかったです。村上さんの小説で、この会話、心地いいって思ったのが初めて。
> コムギ、コオロギ、カオルたちの会話は僕も好きです。かれらも、浅井マリのこころの成長を手助けする存在のはず。この作品のテーマとして、「何か邪悪なものに追われている」というモチーフがよく出てきますが、彼らは、そういった苦しみを背負っているから、他者にも優しい。
なぎさ: カオルさんがやけに面倒見がいいのも、たくさん苦労してきたからなんですね。カオルさんが、主人公の母や姉のように見えるんです。
> 心の中に、優しい母のイメージがあるからこそ、人は困難を乗り越えていけるんだと思います。そういったイメージは幼少期にしっかり形作られないといけない。
なぎさ: 話は変わりますけど、人間を海に引きずり込むタコの比喩は、エリを捕らえている邪悪な力(ダークフォース)のことなんですよね。タカハシくんがマリに、音楽をやめて司法試験を受けるわけを話すシーンで語られるタコの話(P142)。これは村上春樹が日頃から感じていることをタカハシくんに代弁させているのかなって。
> タコは、国家や法律のようなシステムという形で現れると説明されてるしね。人間性を破壊していく冷酷無比なシステム。「海辺のカフカ」で言及されていた、カフカの小説に出てくる殺人機械や、エルサレム賞受賞講演の「壁と卵の話」も思い出しました。タコの比喩と卵と壁の比喩はちょうど対称的で、同じことを別の視座で語ってる気がします
なぎさ: 村上春樹がいう、「壁側(人間性を収奪するシステム側)で小説を書く作家に、はたして値打ちあるのか」って意見、私も同意する。物語は強くて頑固な壁(システム)のために描くものではないし、私たちのためにあるものだから。この講演のテキストを読んで、私は、自分の信念のために壁にぶつかって崩れる脆い卵でもいいと思いました。強大で人間性を損なわせる何かになるくらいなら。
> 勇ましく立ち向かって割れそうな卵は守らないといけない。そのためにこそ、かえるくんはいて、東京を救うんです。
なぎさ: 私も、このタコに捕まえられるんじゃいか、怖いんです。だって、何かのタイミングで、どんな人だって悪の方へ変わりそうだし。タコは、そこら辺にいるのですか?例えば、家の玄関とか。
> 居ることもあります。本当に微妙なわかりにくい形で現れて、人を取り込んでいくから。それを見破るためにも、かえるくんには、冴えない片桐さんが必要だった。つまり、友達ですね。人を陥れる嘘を言わない。信頼して相談できる友達。安心できる。
なぎさ: この物語の悪役、サラリーマンの白川、中国人の売春婦が急に生理になっただけで怒って殴った理由が分からなかったけど、彼もタコに足を巻きつかれたんだと思うと納得します。白川は普通のエンジニアに見えます。なんで人を殴ったか不思議に思えるほど。
> この白川も、自分の内面にある暴力性ともとれるし、外部の災厄ともとれます。この物語は、自分の中にある被害者にも加害者にも共感していく試みとも読めます。心の深いところに降りていくと世界そのものがあります。そこで出会う人々との間で得たものを再び現実世界に持ち込む。それが心の成長です。余談ながら中国人の少女が被害に遭うことから村上春樹の初期の短編「中国行きのスロウ・ボート」も連想しました。
なぎさ: だから白川目線の話もあるんですね。この物語を読むと、私もマリちゃんの夢の中に入り込んでいるように感じます。だから被害者、加害者のどちらにもなれるような気がします。マリちゃんは自分を卑下してるけど、誰よりも賢くて、弱くて困ってる人に手を差し伸べることができる優しい良い子だと思うんです。だから彼女にもっと自信をつけて欲しい......。
> はい。 だから、この話は、深い夢の中でさまざまな人と出会った後に、マリの今後の成長が示唆される場面で終わるんです。
なぎさ: 白川がコンビニに置き去りにした携帯電話、中国の人から脅しの内容ばかりかかってきましたけど、あれは白川に対する、ダークフォースはお前を離さないという暗示なのかなって。
> 間違いなくそうだと思います。河合隼雄の説明だと、多くの人は白川の問題は解決してないと思うだろうと書かれてますが、もう暗示されてるんですよね。一度邪悪な力に憑かれた人はよほど苦労してそれを克服しないかぎり、身を滅ぼします。
なぎさ: 白川があそこから克服するには、相当の努力がいると思います。邪悪な力に取り込まれるのって、本当に嫌ですね。お姉さんのエリがテレビに取り込まれて、白川が居た部屋とそっくりな場所に移動していましたが(P166)、あれもダークフォースの被害に遭っているの?
> 想像に任せるために、つまり読む人それぞれの体験を重ねられるようぼかしてますが、たぶんそうです。エリは薬物依存だったでしょう。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者は、最初は一見、アルコール依存や薬物依存、ないし、何か分からないけどイライラするという形で、しばしば受診してきます。
なぎさ: そういえば、「お姉さんがたくさん薬を飲んでいたよ」と、タカハシが言ってましたね。エリも抱えきれないストレスがあったから、眠りに落ちたのですね。浅井エリとマリの姉妹も、一人の人間の別人格だといいましたよね。二人は役割分担しているのですか?
> 浅井さんという女性のうち、浅井マリは意識。エリは無意識だと思います。浅井さんが、受けた心の傷を引き受けているのがエリで、無意識に追いやられています。だからエリが、白川の居た部屋に似た空間に取り込まれるのは、中国娘が受けたのと同じようなトラウマを、浅井さんが抱えていることを暗示しているのかもしれない。だからマリは中国人の少女が他人に思えない。幼い頃にエレベーターに閉じ込められたのは、実は一人の少女で、その時のトラウマを引き受けたのがエリだったのかもしれない。だからマリとエリが和解することで、人格のかけらが埋められて、浅井さんは初めて成長できるようになる。
なぎさ: エリはトラウマを引き受けたから、あんな部屋に閉じ込められて眠る羽目になったんだ。マリはエリと違って、自分の意思で決めて自立しているように見えるけど、対して眠っているエリは親から過保護に守られてばかり、自分のやりたいことや意思がないようにみえました。エリがマリにキスして一緒に寝たのは、欠けていた人格を埋めることの象徴だったんですね。
> そう。見方を変えると、エリは過去の自分を理想化したもので、マリは現在の自分で本来の自分かもしれない。だから、ひょっとしたら、エリが美人でちやほやされていたのも、実は嘘や思い込みかもしれない。実際には過去の自分であるエリは、酷い目に遭っていたから眠り続けている。エリが眠り込む前に、わざわざタカハシくんに会って、薬をたくさん飲むという自傷行為を見せたのは、彼女のSOSだったのかもしれない。
ダークフォースによる暴力は、記憶と、それにまつわる感情だけでなく、それらが保たれていた場合に健全に育ったはずのパーソナリティさえ奪っていきます。魂の殺人といってもいい。その被害のすべてを避けることは難しい。現実世界には都合のいいスーパーヒーローなんていないから。
なぎさ: そうですよね。河合隼雄先生も、人が変わったり、癒されていくことは大変なことだって書いてますもんね。それこそ世界がひっくり返るくらいのことだって。私たちひとりひとり、みんなのつながりの中で生きているから。世の中癒しブームで「これ食べたら癒されます」、「この音楽で癒されます」なんて簡単なことではないって(「こころの読書教室」P104参照)。
> それを聞いて思い出したんですが、今村夏子「こちらあみ子」の解説で、芥川賞作家にして伝説のパンク・ロッカー町田康が「歌で勇気や力を与えるなんてことは簡単ではない」と。河合隼雄と同じことを言っています。
それと、なぎささん、小川洋子の本好きでしたよね。小川洋子は今村夏子のことをまるで娘のように大事にしてるんですよ。「星の子」の巻末で対談してるのを読むと分かります。
なぎさ: へえー、覚えておきますね。
> 町田康の話は、さらに続きがあって、人を一途に真剣に愛する者は社会から放逐されるというようなことを書いています。「こちらあみ子」における、あみ子は実際に周囲の人々と軋轢を起こします。しかし、この物語から伝わってくる様々な感情は、確かに僕に勇気と力をくれた気がします。彼女は勇気をくれるなんて一言も言ってない。今村夏子も、読者に勇気を与えようなんておそらく意図していないはずなのに。
なぎさ: 無条件に君はこれをすれば大丈夫だよって言われるのをうかつに信じてはいけないし、何より自分の頭で考えないといけない。色々な人の意見も参考にして。そうやって自分で答えを見つけなさい。いつも先生が言ってることですね。
> 先述のRadioheadのインタビューに戻ると、あの記事(「SNOOZER」2003年6月号)は当時、書店で配布された小冊子で村上春樹「1Q84」の副読本に選ばれていました。その中でトム・ヨークはこうも言っていました。「世界中にマインド・コントロールが広がっている」と、それに抗わなければいけない。アイドルやロックバンドをみんなが好きになるのだって、ある種のマインド・コントロールなんです。けれど。
なぎさ: 例えばBTSは、自分の頭で考えろってファンを教育してるんですよね。ユングや、ユング心理学に感化されたヘルマン・ヘッセの作品を勧めたりして。
> そうみたいです。師長が熱心だから、それを聞いてヘルマン・ヘッセを新訳で読み返したりしています。村上春樹も「車輪の下」を、「ノルウェイの森」の重要な場面で主人公に読ませたりしていました。その「ノルウェイの森」って、出版社の宣伝文句も、映画版も究極の恋愛映画みたいになってるけど、僕は、アレはそうじゃないよなと思っています。J.D.サリンジャーやカート・ヴォネガットが描いたような、戦争にまつわる外傷体験と、それが引き起こす諸症状、解離性幻聴や遁走、記憶喪失等について描きたかっただけ。注意して読むと、ナチスの突撃隊とか、アウシュビッツといった、人間性を抑圧するファシズムに関する描写がいっぱい潜んでいるんですから。
なぎさ: ふーん.........。ナチスはどうでもいいけど、先生こそ師長にマインド・コントロールされてるんじゃないですか。 師長さんが綺麗で素敵なひとだから。
> でも、あなたがいう、「誰よりも賢くて、弱くて困ってる人に手を差し伸べることができる優しい良い子」というのは、浅井マリではなく、あなただよ。あなたは本当はいい子なんです。
なぎさ: それは質問に答えてないですよ!
......と、いささか、詰め込みすぎたきらいはありますが、村上春樹と心理学というテーマならいくらでも書けます。けど、あんまり薄まったものを書くのもよくないですし、こういった形で、きっかけがあれば、濃いものを今後も書いていくつもりです。たった一人でもお付き合いくださる方がみえたら嬉しいです。